音へのこだわり
1日レッスンでは、午後からいよいよ音作りです。一つ一つの音から、納得できるレベルで奏でられるように、丹念に取り組み、積み上げていきます。何度も練習していると、訳が分からなくなって、何も弾けなくなることもありました。そうした時でも、由記子先生は根気強く、寄り添ってくださいました。
そして、たとえ時間がかかっても「思い通りの音」が出せた時には、確かな言葉をもって認めてくださいます。この年齢になっても、上達を素直に喜べることに、深い幸せを感じました。
「レッスンの中で、できるまでやる」という由記子先生の姿勢は、わたくしの今の生徒への向き合い方に大きな影響を与えています。ともすれば、「家でやってきてね」と言いがちですが、「レッスンでできないことは、家でできるはずがない」というお考えに、大きな感銘を受けました。
本物に触れる
休憩の時間は、美味しいお菓子とコーヒーでのティ―タイムです。「ピアノレッスンに行きながら、テーブルコーディネイトの勉強までさせていただけるなんて!」と、コッソリお得感を喜んでしまうくらい、すてきなティーカップとお皿でのお茶の時間です。
私の生徒がお世話になっても、そのテイストを崩されないのは、「子供だから」と思われず、「本物の芸術品に触れることの大切さ」「ものを丁寧に扱う大切さ」を伝えていらっしゃるからだと理解しています。(私なら、マイセンやヘレンドのティーカップは、怖くて小学生に出せません!)
ピアノ指導者として一番大切なことを学んだ、愛の鞭
さて、由記子先生に教えていただいた、ピアノ指導者として生きていくうえで最も大切な点は、究極には以下の二点だと思います。
- 「なぜそうなのか」を考える
- できない要因を探して、言い訳しない
私が「2.できない要因を探して、言い訳しない」ことの大切さを、身にもって経験した出来事があります。当時の私には、「愛の鞭」としか思えないような出来事です。
それは2015年のことでした。その年のピティナ・ピアノコンペティション表彰式に、由記子先生から誘われたのでした。
私は本来、表彰式には何の用もない立場でした。とても場違いで、身の置き所がないであろうことが容易に想像できたので、お誘いいただいたものの、とても迷いました。
実際、会場に足を踏み入れると、表彰される先生方は皆さんキラキラして自信に満ち溢れ、生徒さんたちも充実感に満たされた良い表情をされていました。
そんな方たちをまぶしく見つめながら、私の中に「生徒たちを、必ずここに連れてくる!」という固い決意が芽生えるのを感じました。決意と羨望に満ちた、泣きたくなるような気持ちを、手帳に書き込み、心に刻みました。
後から、由記子先生には「ああいう場に行くことが、大切なのです」と言われました。その意味が、今は良く分かります。あの時、もしお誘いくださらなかったら、きっと今の私はおりません。
気が引けるとか、手ぶらで行くのは恥ずかしいといった小さなプライドに惑わされず、行って良かったと、心底思っています。
このように、由記子先生のご提案はいつも突然で、私にとっては突拍子もないスケールなので、人生のジェットコースターにでも乗っているかのようです。
パネルディスカッションのパネリストを経験させていただいた時も、海原崇史くんを任せていただいた時(註:海原君は、その年にべスト賞を受賞)も、レッスン見学の講師を務めさせていただいた時も、そうです。
しかし、その一つひとつに全身全霊をかけて取り組むことで、ひとつずつ私自身の力になっていくのを実感いたしました。
新しい世界に踏み込むには、少なからず勇気がいります。由記子先生は「なんでもやってみて、嫌ならやめればいいじゃない?」と、いつも何でもないことのように、私の背中を押してくださいます。
指導者としての経験と実績を積み重ねていく後押しをして下さった由記子先生には、深く深く感謝しております。
【次回は、「ピアノ指導者として、最も大切な点『1.なぜそうなのかを考える』について、お話しくださいます】