「近所のピアノの先生」だった渡部由記子がピティナで人生変わるまで

 

(2017年に、ピティナ50周年記念コンサート開催に際して書いた文章に加筆いたしました。2022年5月)

 

ピティナと出会うことがなければ、今の私はあり得ませんでした。

いわゆる「町のピアノの先生」として、近所の子どもさんに趣味のピアノを教え続けていたのではないか、と思います。

 

それはそれで、一つの道ではあります。

ただ、当時の私には、ほかに選択の可能性があることが、見えていませんでした。

その可能性を見せてくれたのが、ピティナでした。

 

今から35年ほど前にピティナと出会ってから、ピアノ指導者としての私の人生は、大きく変わりました

感謝とともに、ふり返ってみます。

 

ピティナに入会したきっかけは、芸大の同期だった友人に誘われたことでした。

声楽科出身の友人は、当時ピティナの連絡所を運営していました。

連絡所を支部に格上げするにあたり、ピアノ科出身のスタッフがいた方が望ましいということで、副支部長にならないかと誘われたのでした。

 

ピティナという団体が、どんな団体なのか、まったく知りませんでした。

勧められたものは、まず試してみて、それから判断することをポリシーにしていましたので、言われるままにピティナに入会しました。

 

1986年、ピティナが20周年を迎えた年のことでした。

以来35年ほど、ピティナに学びの機会、活動の場を与えられ、多くの出会いをいただきました。

 

やがて私は生徒さんがコンペティションで好成績を収めることで、広く知られるようになっていったのですが、これも当初は想像すらできないことでした。

 

それまで、生徒さんが人前で演奏する機会といえば、発表会のみ。

1曲を準備するのがやっとでした。

4曲も演奏するコンペティションなんて、はなから無理だと思っていました。

 

支部のお手伝いをする中で、「副支部長なんだから、生徒さんをコンペティションに参加させてみたら?」と言われたことから、入会2年後に初めて挑戦しました。

 

ふたを開けてみたら、参加した2人のうち1人は全国大会へ出場。

もう1人も本選で優秀賞を受賞しました。

このとき、「自分で勝手に『無理』だなんて、決めつけてしまってはいけない」と、心の底から感じ入りました。

 

それ以来、毎年、生徒さんが全国大会に出場するようになりました。

とはいえ、その道のりは平坦なものではありませんでした。

 

自分なりに音楽を追求し、それを指導にも反映させていたつもりではありました。

けれども、0.01 点の差で合否が決まることもあるコンクールの世界で、生徒さんの演奏のどこが甘いのか?

言いかえれば、自分の指導に何が足りないのか?

解答のない問題集を解くような、手探りの学びでした。

 

生徒さんが受け取った講評を研究し、読み解くことで、少しずつ解きほぐしていきました。

また、活躍なさっている先生方のお話を伺ったり、講座に出席したりするなかで、学びを深めていきました。

 

今では、課題曲の譜面を見れば、それが「全国大会に行きやすい曲・金賞にたどり着きやすい曲」かどうか、一目で分かります。

 

また、私の頭の中には、曲の「理想の演奏」が明確にあります。

 

よくお話しするのですが、「理想の演奏」に近づくために、1000枚の扉を開ける必要があるとします。

だいたい半分、500枚の扉を開けることのできた生徒さんは、確実に金賞を受賞していらっしゃいます。

 

「生徒さんの現状」は、一気に「理想の演奏」にはなりません。

「理想の演奏」に近づくために、階段をつけてあげるのが、指導者の役目であり、腕の見せ所でもあります。

 

一段一段が高すぎては、生徒さんは登れません。

低すぎては、時間と労力が無駄にかかり、嫌になります。

適切なタイミングで、適切な階段を示すことで、どんな生徒さんでも、着実に伸びていきます。

そのため、私は生徒さんを選びません。

どなたでも歓迎しています。

 

生徒さんは「階段をまた登れた!」という成功体験を得ることで、自信や達成感を得ます。

ともすれば「退屈な苦行」に見えるかも知れないピアノ練習という地味な作業に、やる気を持って前向きに取り組むことができるのは、「学ぶ喜び」という、人間にとって根源的な喜びを得られるからだと思います。

 

そして、一つずつの階段をていねいに登ることを続けていると、半年後には全国大会で表彰のステージに立っている…というわけです。

 

このような「成功の方程式」を体得できたのも、ピティナで多くの学びの機会をいただいたおかげです。

 

そして今から20年ほど前に、日比谷ゆめステーションを立ち上げました。

 

かつての自分のように「もっと指導がうまくなりたい」と切実に願っているピアノ指導者が集う、学びと交流の場が、ステーションです。

 

今では、全国各地のピアノ指導者100名以上が所属する、大所帯のステーションとなりました。

 

勉強会や交流会を定期的におこない、「ひとりぼっち」で活動することの多いピアノ指導者が、和気あいあいと集い、お互いから学びあう場となっています。

 

ありがたいことに、私に出会ったことで「人生が変わった」と仰ってくださるご指導者も少なくありません。

 

また、指導を受けられる生徒さんにとっても、「人生が変わる」のがピティナです。

 

ピティナ・ピアノコンペティションに向けたレッスンの中で、上述のように毎回、小さな成功体験を重ね、「自分はやればできる!」という実体験に裏打ちされた自信(=自分を信じるちから)を得ることは、自分で人生を切り拓ける力をつけることでもあります。

 

その結果、ピアノ以外でも積極的にチャレンジするようになり、他の道でも成功するようになったというお話も、珍しくありません。

 

その典型的な例が、「ピティナに挑戦する前には、勉強がそれほど得意だったわけではないのに、ピティナ経験をつうじて前向き・積極的になったおかげで、自分には到底考えられない、雲の上の存在だった御三家(中学)に合格した」という生徒さん達かと思います。

 

人生は、ほんのちょっとしたきっかけで、大きく変わります。

 

そのきっかけをくれた芸大時代の友人、そして学ぶ機会、学びを活かす機会を与えてくださるピティナに、深く感謝しています。

 

 

ピティナ全国大会出場者数No.1のピアノ教室